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 大手総合商社で営業をしている優秀なビジネスパーソンの彼は、私と同い年なのにすごくしっかりしていて、仕事をしながら要介護5の奥さんの介護を続けていました。ふたりでデートしているときに、奥さんは特に痛みもないのになぜか転ぶようになり、心配になって病院で検査してみたところ、多系統萎縮症(脊髄小脳変性症)という神経の病気を患っていることが判明したのです。彼は、まさに突然「妻の介護」に直面することになりました。多くの人は仕事に支障が出ないように、最初のうちはあえて会社には知らせず、自分でなんとかしようとしてしまいます。でも、彼は違いました。
 近い将来、奥さんの身体が動かなくなっていくことがわかっていたからこそ、まだ奥さんがお勤めしていた段階から、これからは働き方が制限されること、いまその準備をしていること、仕事を辞めずに介護をしたいと思っていることを、しっかり会社に説明したのです。その会社、彼が早めに相談してくれたおかげで、バックアップ体制をとる準備期間を十分にとれました。
「自分の役割は働いて稼ぐことである」と最初に決めたのは、本当に素晴らしかった。そうすることで妻に必要なサービスを制限なく利用できるのと、彼は最初からわかっていたのです。担当のケアマネ、自宅に通ってくれるヘルパー、訪問入浴サービスの担当者たちにも、「とにかく仕事を辞めたくない。だから、みなさんの力を貸してほしい」と、自分のスタンスをはっきり伝えたそうです。これはなかなかできることではありません。
 彼は毎月1回ショートステイを利用していました。でも「ショートのあいだにあれもこれも全部やっておこう」と詰め込みすぎて、かえって疲れてしまっている自分に気づいた彼は、折に触れて反省し、ショート中の過ごし方を見直してみたりと、介護の経験を確実に自分の成長につなげていました。その姿は本当に印象的で、頭が下がる思いでした。
 その後、残念ながら奥さんは無くなってしまいましたが、葬儀の日に、「川内さん、振り返りの時間をつくりたいので、一度お会いしてお話しする時間をとっていただけませんか?」と彼から言われ、後日お会いしてきました。
「自分は仕事を辞めなくてラッキーでした」と彼は言いました。
「妻はもうこの世にはいません。失意というか、つらさというか、やっぱりもっとこうしてあげたかったという気持ちは、あれだけやっても残っています。
けれども、その悲しみにずっとひたることなく、仕事に行ける。会社のみんなは、私が妻の介護をしていたこと、妻がなくなったことを知っているから、いろいろきを使ってくれるし、仕事をしているときは悲しみを忘れることができます。
介護経験のある方から、こんな本があるよと教えてもらったり、介護を通じていろいろな人とのつながりができました。それも仕事を辞めずに続けられたからです。」
彼の介護が後悔と失意だけで終わらなかったのは、仕事を辞めずに、マネジメントに徹したからでしょう。彼は情報を自ら積極的に発信するだけでなく、実際に介護に関わる人たちのモチベーションを高く保つために、ケアマネやヘルパーを事あるごとにほめたり、なににいくら必要かというお金の管理もしっかりこなしたりと、仕事で培ったマネジメントスキルを介護生活に持ち込んで、チームをうまく回していったのです。