2024.05.01
【認知症の誤解、まとめ】認知症になっても健やかに暮らし続けられる社会に向けて
2024.05.01
家族が認知症になっても無理なく仕事と介護が両立できるよう「認知症の誤解」について、5つの事例を元に正しい対応方法をお伝えしていきました。今回はこれまでのまとめとして、「認知症になっても健やかに暮らし続けられる社会」についてお伝えします。
~これまでの「認知症の誤解」~
【認知症の誤解、その1】物忘れはあるが、問題は起きていないのでまだ大丈夫
【認知症の誤解、その2】認知症が進行しないために、できるだけ話しかける
【認知症の誤解、その3】デイサービスに送り出すための声がけ
【認知症の誤解、その4】とにかく病院を受診させる
【認知症の誤解、その5】道に迷うことが増えたので、出かけないように見守る
●長生きを喜ぶ社会とは
認知症の家族を介護する家族には、肉体的にも精神的にも大きな負担がかかります。何度も同じ話を繰り返しされたらイライラしますし、徘徊して道に迷い警察に保護されたとなるとやるせない気持ちになります。時間の感覚が不確かになり昼夜逆転の生活になれば、同居する家族は睡眠不足になります。他にも食事や排泄をひとりで出来なくなるなど、支える家族の負担が過度になるかもしれません。
一方で、認知症の当事者は、出来ないことが増えていく不安と戦っています。自分の記憶にないことで周囲に迷惑をかけたり、時に責められるとそれが原因でさらに症状が悪化することもあります。ただ、現在はその進行を遅らせることができても、認知症を治す薬や治療は存在しません(一部の認知症を除く)。長く生きているほど、認知症の発症リスクは高まります。
長寿大国である日本の平均寿命は、世界トップクラスです。医療技術の進歩や健康意識の高まりもあり、平均寿命はこの先も延伸すると見込まれています。認知症にならないための予防も必要ですが、長生きをして認知症になったとしても心穏やかに暮らしていけることこそが豊かな社会ではないでしょうか。
●認知症になったら不幸なのか
私が勤めていた認知症専門のデイサービスでは、毎朝、利用者さんとレクリエーションを行います。その日はとてもいいお天気で、暖かな陽射しが部屋に差し込んでいました。ひとりの利用者さんが「今日はいいお天気ね。それだけで幸せだわ〜♪」と口を開くと、他の利用者さんも「こんな日は洗濯物がよく乾いて、いい匂いになるの」と笑顔になりました。一方で、私は次にやることで頭がいっぱいになり、今、目の前に起きている利用者さんたちが語ったような幸せに心を向けていないと気づきました。「今、この瞬間に幸せを感じて生きている」のは私ではなく、認知症の利用者さんたちだと感じたのです。全てを正確に覚えていることや忘れないことを「正しい記憶」だと認識していますが、そもそもそれが“正しい”のか、そして“幸せ”に結びつくのでしょうか?
以前、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さんと対談をさせていただきました。私は丹野さんに「認知症になって“よかったこと”はありますか?」という質問をしました。丹野さんは「自分の周りの人が優しくなった」とおっしゃっていました。診断された当時、丹野さんは自動車販売のトップセールスマンとしてライバルと競い合い結果を出すために精力的に働いてきました。しかし、認知症になり以前のように働くことが出来なくなりました。丹野さんは紆余曲折を経て認知症である自分を受け止め、道に迷った時は「私は、若年性認知症です」という札を見せて尋ねます。すると、多くの人が丁寧に教えてくれたり、助けてくれたりと、人の優しさに触れる機会が増えたそうです。
動画:認知症となった大切な人に家族ができること〜丹野智文氏・川内潤 対談イベント〜
●老後を楽しみにするために
認知症になったら「何もできない」「話が通じない」というのは誤った偏見です。例え色々なことを忘れて、人が変わったように感じることがあっても、その人の人格が失われるわけではありません。
私は認知症の方々と関わったことで、自身の老後が楽しみになりました。社会的な役割を終えて、自分自身が自由に生きられるのが老後であり、目の前にある瞬間だけを純粋に楽しめる時間がくるのだと考えています。
認知症に限らず、異質なものや理解のできないものを弾いてしまうのではなく、一人ひとりがその都度考える機会を得ることが大切だと感じています。いつか自分が認知症となった時、豊かな社会であってほしいと願っ豊かな社会であってほしいと願っています。